昨日、私は朝6時に家を出て、帰宅は夜の9時半。非常に疲れていて、今朝は寝坊しました。
夫は普通に起きて、朝ごはんを作ったり洗濯をしたりしてくれていました。
私が起きると、食卓にご飯が並んでいました。
それは感動的だったのですが、汁ものがありません。温かいものも飲みたいよね、とみそ汁を作り始めたら、夫が怒りだしました。
「君が起きてくる時にちょうど温かいものが食卓に乗るように準備してるのに、今からみそ汁を作ったら、冷めるじゃないか。僕が準備したものでは、そんなに気に入らないのか」と。
私は夫のそういう心遣いには気づいておらず、夫の怒りは収まりません。
「僕たちのこういうささいな行き違いは、定期的に起きているんだ」。怒りは、どんどんヒートアップしました。
「君がワンデイに行ったり、何かをして、確かに周囲の人達との関係性は良くなって、良いことも沢山起きるようになったけれども、僕との距離はどうなんだ!」
私は、途方に暮れました。そして、夫と私が本当に心を寄せ合っている状況をイメージして、大いなる慈悲の光にお願いしました。
すると、びっくりです。
私の内側から、ぶわ~~っと喜びと感謝が溢れて、涙がぽたぽた出て、止まらないのです。
こうして小さないさかいができるのも、あなたも私もお互いを見ることができて、お互いの声が聞こえて、物に触れられて、そして今この瞬間に一緒にいるからこそ。。。
自分の不完全さも、傷も、痛みも。。。
何もかもが与えられたギフト。。。
何もかもが愛おしく、
何もかもを抱きしめたい気持ちでした。
その一瞬に、永遠がある、と感じました。
いさかう一瞬にも、私が夫を見る一種にも、犬を触る一瞬にも、
どの一瞬にも、全部があって、それは永遠なんだと感じました。
それは、理屈を超えた感覚でした。
まるで、ワンデイで見ている、クリスマスギフトの動画、そのもの(笑)
ワンデイに出るということが、こんなミラクルを産むんだということが、初めてわかりました。
怒っていた夫は、びっくりして、
「おいおい、インドから生きて帰って来てくれよ」(苦笑)
普通、ケンカしたことも愛おしく思う境地に入るのは、いまわの際だけですもんね。生きている間にその境地に入れるありがたさを、ちょっと味わった、今朝でした。